2003年1月記

時速260キロ。走り出した新幹線の窓がすべて割れたら、人は何が出来るのだろうか、、、、。

「ガソリンがもうありません、パイプラインも壊れてます。ヒッチハイクで来てください。」すべては
この言葉からはじまった。

12月13日、僕は久しぶりの日本での休暇を終え、帰国した。しかし、空港で僕を待つ人はいなかった。
日本を発つ前に時ならぬ大型台風(100m/秒)が直撃したというニュースは聞いていた。そして、
ショップが17日までクローズだという話も風の噂で聞いていた。しかし、ここまでとは。
ヒッチハイク
はアメリカでは違法だ。しかし、僕を空港からショップまで連れてきてくれたのは、後から聞いた話なの
だが、警察署長であった。知らぬが仏なのである。

ヒッチハイクに時間がかかりショップに着いた頃にはもう、夕日が落ちかけていた。

「本当に帰ってきちゃったんだ、、、。」第2声である。
「連絡が取れれば帰ってくるなと伝えられたんだけど。」第3声。

              
*これボートがそこを上に向けてひっくり返ってるんですよ。それも隣の土地まで飛んでって!!

台風が過ぎ5日経っても、電気は無い、水道も汚染が噂されている。電話も不安定。ちなみに我が家は水
道も止まっていた。台風ガードが吹き飛ばされて窓ガラスはすべて割れ、ドアも打ち抜かれていた。こん
な所にいたらどうなっていたことか。相変わらず、悪運だけは強いようだ。確かに人間が住む環境として
は限界を超えていた。だからといって、仮に連絡があったとしても日本に残ることは無かっただろう。日
々飲んだくれていようとも、こんなときは、こんなときほど、人は、頑張らねばならないのだ。
コンチクショウなのだ。負けてられないのだ。ちなみに僕はジャンケンに負けるのも嫌いなほどの負けず
嫌いだ。

「立ち尽くす」という言葉がある。
たちつくす:意味 いつまでも立っている。じっと立ったままでいる。立ち通す。(広辞苑 第四版)

       

毎日がその連続だった。何をするにしても立ち尽くした。どこから手をつけるべきか、残すべきか、捨て
るべきか、何が足りない、何を作る、どう修理する、必要なものは、いつになったら終わるのか、何を
もって終わりとするのか、出口の無い迷路に迷い込む。電気が無いから当然夜は真っ暗だ。日出とともに
働き始め日没前に家に帰る。残業が無いのがいいことだ。ロウソクを囲み、ぬるいビールで一日の疲れを
癒す。星が綺麗だ。流れ星がこんなにたくさん流れているなんて今まで知らなかった。「カネ、カネ、
カネ、」何度もつぶやいた。願いはまだ届いていないようだ。

若者には体力があるが精神力は弱い。
オジサンには精神力はあるが体力が無い。
若い社員には精神的に限界が近づいていた。

オジサンたちは体力的な限界が近づいていることに気がついていなかった。

12月23日。再開を翌日に控え、僕らは一枚の写真を撮った。中村、寺嶋、僕、そしてサイパン店から
応援に駆けつけてくれたジョベル。
僕らは真っ黒に薄汚れ、髭も伸び放題だったが、瞳だけは危険なほど
に輝いていた。生きる勇気と気力に満ち溢れていた。今では記念の一枚だ。

               

そして、僕はその日、髭を落した。

12月28日。ショップに電力が回復した。
台風からもう20日あまりが過ぎ去った日のことである。

P.S
今では、以前より?SHOPがきれいになりました。


JAN 08 2003
台風が去り1ヶ月目の記念日に

Wachi Yasumichi